中国的、儒教的、論語的な行動は、
チベットどでの弾圧のを行った中国とは矛盾すると、
あえて言いたいが、
胡錦濤主席の行動を非難することは出来ない。
旧友を忘れない心は新しい友への特別な思いともつながるはずだが、
現在の中国は経済発展を背景に独りよがりな国になった感じで、
新しい友は果たして何処の国のどんな人かと関係ないことも考える。
元々中華思想に凝り固まった高慢な国が中国だと言う声も聞こえるが、何処の国も高慢である。
日本も含めた中国を取り巻く漢字文化圏の国々は中国から大きな影響を受けているわけで、強力な文化的つながりは切っても切れるものではない。
旧友を忘れないということは、恩義をわっすれないことである。どんな歴史の中でも、忘れてはならない恩義があるはずで、あの戦争の中でもお起きの忘れてはならない恩義は双方にあったはずだ。政治レベルの日中関係は裁判で言うならば、量計だけを重んじて、情状酌量を忘れている気がする。
経済デベルでは世界を揺るがす中国のビックウェーブが日本も飲み込んでいる。中国との良好の関係無しには一日も始まらないのが日本である。毒入り餃子問題はいまだに真相も分からないなまま、有耶無耶になりかけている。中国の調査機関もある団塊を過ぎると投げやり的な感じで、時の解決にゆだねた感じで北京p厘ピックへ向けての聖火リレー騒動などに飲み込まれて消えることを願っているような感じさえする。
夕食会の会場である都内のフランス料理のレストランでは中国革命の父といわれる孫文がよく利用した店だという。革命の父孫文縁のレストランでの夕食会も見事な演出だが、日本訪問が桜の時期からずれた胡錦濤主席の国内状況などを考えると相応しくないような気もする。革命の父孫文はチベット問題でどんな決断をするだろうかと、愚にもつかないことを考えるが、兎にも角にも友好ムードに水は差したくないのが日本世論である。
パンダ外交などの揶揄的な言葉も引っ込めて、中国の北京オリンピックの成功と同時にチベット問題などの少数民族の人権問題も解決するよう願いたいものである。世界の国々で中国国旗がはためくの異様さを指摘して欲しい日本国の福田総理大臣である。

