一体全体どうなったかこの世の中はと、嘆きたくなる事件で、両手首切断の謎の多い事件であった。
その事件は東京足立区で起きた。通りに面した住宅兼工場のシャッターは降りていた。シャッターの隙間から血が流れているのを通行人が見つけて警察に通報した。駆けつけた警察官はシャッターを開け中に入った。壮絶が惨劇の展開されたであろう現場を見た警察官は我が目を疑った。
勿論想像であるが、警察官は我が目を疑ったに違いない。何が起きても驚かない、精神的鍛錬をしている警察官でも驚愕のあまりに一瞬立ち尽くしただろうと思われる情景であった。
男女3人が死亡していた。工場の社長であり一家の主人が妻を母親を三つ連れに死んでいた。三人の死体を前にして両手首を切断され、血が滴り落ちる腕の次男が立っていた。そんな光景ではなかったか。
三人死亡の惨劇に、
さらにその惨劇を際立たせるのは、
猟奇的とも云える次男の両手首切断である。
遺書めいた文書が発見され、
明らかに無理心中と思われるが、
次男の両手首切断は不可解さが漂う。
当然警視庁は、死亡した父親が無理心中を図ったとみているわけだが、両手首の切断に対するコメントなどは聞こえてこない。
近所の人の話は概ね、まじめな人であったと言う。
日本人はよっぽどの事が無い限り、死者に鞭打つ事は言わない。事件が起きた時は隣近所の人たちのコメントは当てにはならないが、この事件に関する限り生真面目な人に間違い無さそうだ。
遺書めいた文書には、
「母親だけを連れて行くつもりだったのに」と書かれていた。
その文言から老いた母親の病が想像されるが、又同時に経営などの行き詰まりで死の選択しかないとの思い込みの抜き差しなら無い現実で、老いた母親だけは連れて行くつもりだったと言うのだろうと推測する。しかし、次男の両手切断は説明できない。
社長である一家の主人以外の3人は頭に刃物を振り下ろしたような傷があり、主人の首には刃物で切り付けた跡があった。三人はナタで殺すつもりだった。二人は死んで、次男は気を失ったのだろうと思われるが、両手首切断は何の為か分からない。次男は生きていた。生きているのと、両手首切断の関連性も分からない。
主人は自ら首を切って死んだ。
ナタが凶器で、それ以外には凶器と思われるものは無かった。
ナタによる身内の殺害事件が続いている。
原始的とも思えるし、
最も残虐性も感じられる、
ナタによる殺人事件の意味はと考えるが、
その原始的残虐性に秘められたメッセージは、
私達の日常にあるのかもしれないと、
不可解なな思いにもなる。
「おやじにやられた」と言う次男は、
その修羅の現場を一部始終見ていたのだろうか。
親父を止めようとして、両腕を切断されたのだろうか。
後頭部には殴られた陥没があり、
両手首切断の前に気を失った可能性もある。
高校一年の少年の心を思うと、
あまりにも痛ましく、
あまりにも悲しい事件である。

