2007年11月27日

赤ちゃん置き去り

東京埼玉で、生後間もない女の赤ちゃんが置き去りにされていた。

 24日午前5時半ごろ、東京・練馬区の公園で、見つかった赤ちゃんは生後3カ月ほどで、紙おむつや下着などが入った紙袋がと「幸せにして下さい」のメモがあったという。

 埼玉県入間市でアパートの階段の下で、白いバスタオルと男性の長袖シャツにくるまった、へその緒がついた女の赤ちゃんが見つかった。

 もちろん二人の赤ちゃんに関係はないが、ともに女の子であり、なんとなく関係を考えてしまう事件でもある。こんな寒くなってからの赤ちゃん置き去りには、母親も最後の最後まで母性との葛藤は当然あっただろう。母親を責めるのは簡単だが、母親なお罪は社会の罪でもあると、赤ちゃんに社会が詫びるしかないようだ。子供を育てたことがないから、子育ての苦労を知っているなどとはいわないが、母親の苦労の一端が母親に育てられた人間だから分かるのは当然だ。

 熊本慈恵病院のこうのとりのゆりかごが思い出される事件である。
 東京近郊にもこうのとりのゆりかごがあったならと思うのは人情である。

 ワーキング・プアなどの言葉がまかり通るせちがない世の中で、ちゃんと仕事を持ち、ちゃんとした結婚をしていても、子供を育てられない夫婦がいるだろう。定職もなく結婚してない若い恋人たちが子供を生んで育てられないの珍しくもない。また恋に破れてもおなかに恋の思い出として残された子供を生むことになった女性が、育てられなくなる事も珍しくもない。そんな時赤ちゃんを抱いて若い母親は、どうしたらいいかわからない。

 あえて殺す事件も多く、
 また自分もともに死ぬこともあるだろう。

 そんなことを無くし、赤ちゃんの命を守る為にも、こうのとりのゆりかごは必要だと思う。 国の制度ではなくても、こうのとりのゆりかご的なものは絶対必要だと思う。

 幸いにも二人の赤ちゃんは助かったが、もし見つからなかったら小さな命は消えていくことになる。「紙おむつや下着などが入った紙袋が置かれ・・」のメモからは母親の叫びとも思える声が聞こえるようである。

 兎にも角にも赤ちゃんが無事でよかったと言うことだ。

慈恵病院のホームページを覗いてみる。

「・・・中世ヨーロッパでは、修道院の壁に扉が付いており、親が子供を育てられない場合、赤ちゃんをその扉の中に入れて、預けることができる仕組みになっており、修道院で赤ちゃんを育ててきた歴史があります。
現在、ドイツでは多くの赤ちゃんが捨てられ、多くの場合、寒いドイツでは遺体として発見されるそうです。2000年、ドイツのハンブルグの保育園で、親が育てられない赤ちゃんのために「ベビークラッペ」というものを設け、赤ちゃんを助ける活動を始めました。それが瞬く間にドイツ全土に広がり、現在ドイツ国内で70カ所以上にベビークラッペが設置され、年間40人程の赤ちゃんが助けられているそうです。・・・」

 何時の時代でも、人間の社会の人間のやることは罪深きことが大いに決まっていると、悟りきった人間のような感想を書いてみたいが、そんな事をすると更なる罪を重ねるようで、気も重くなってくる。

 
posted by mayoibsi at 16:45| 東京 ????| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする