死刑の求刑から一転して勝ち得た無罪は、被告人にとっては、
地獄から天国への階段を一気に駆け上がった思いだろう。
判決は裁判長から怒りの言葉が付け加えられるほどで、
素人目にも、死刑判決が正当のような事件に対する裁判であった。
裁判所を出る限りなくクロに近い犯人と思しき男に飄々とした感じであった。 記者の一人が、あなたは本当に無罪ですかと怒りを含んだ言葉を投げつけた。限りなくクロに近い男は表情さえ変えなかった。果たして男は母親と2人の娘を殺した殺人犯だろうかと誰もが問いたい事件であり裁判であった。検察側は当然控訴したが、長い裁判の判決が出るまでには事件は風化し証拠も消えていく。限りなくクロに近い男が再び死刑判決におびえることは無い。司法法制でが厳格に守られた裁判は、司法への疑問も生み出す裁判だった。限りなくクロに近い男は再びの人生への夢を抱いて裁判所を後にした。
検察の死刑求刑は自信の求刑であり、ひっくり返るわけの無い求刑だと思っている。せめて無期懲役などへの減刑が妥当だというのが慣例だという。しかし、1978年以降、死刑の求刑がひっくり返され、無罪になったのは3例目だという。
判決は無罪だった。
この特殊な裁判で、裁判長は、
「被告が現場にいた証拠はない。自白には不自然な変遷があり、信用性がない」として無罪を言い渡したが、 「非常に疑わしい点があり、シロではなく灰色かもと思うが、クロと断言はできなかった。無罪とするのは冤罪を防ぐための、「疑わしきは被告人の利益に」の、「原則を厳格に適用したためだ」と異例の言葉を付け加えたという。
「極刑を覚悟して自白した」したのは別件の詐欺事件での取調べ中だったという。
しかし、公判では覚悟の極刑を翻し無罪を勝ち取る覚悟で否認した。
そのために、自白調書の任意性と信用性が法廷での争点になった。
法廷での罪状否認はよく小説やドラマである法廷戦術であるが、
しかし、この裁判は特殊すぎるような気がする。
判決に対して、裁判長が裁判の限界を嘆くような怒りの付言は、
どう判断すべきかは分からないが、
付言などないほうが捜査当局への戒めにもなったのではと思った。
裁判長に「シロではなく灰色かもと思うが、クロと断言はできなかった」と、
怒りの発言させた裁判は、
一般の人間は明らかに死刑にすべき犯人だと断定している。
「疑わしきは罰せず」の原則が守られた。
果たして、、、と疑問も残る裁判のニュースであるが、
似たような事件「祖母と孫の2人を殺害」事件が香川県で起きた。
共通性は幼い子供2人と祖母が殺されたということだが、
何と無く同じような感じがしてならない。
祖母と孫の愛は真実の愛である。
どんな原則も祖母と孫を同時に殺す罪の前には、
存在しえないような、そんな気のする裁判と事件である。




