沢尻エリカ現象と言うらしい。
ふて腐れての舞台挨拶で注目されたと言うか顰蹙を買った沢尻エリカ真似をする。
「別に」と言う、
ふて腐れた気味の返事をすることらしいが、
もう沢尻エリカを虐めるのは止せと、
励まそうか会の立ち上げを考えるのである。
沢尻エリカも自分のキャラクターを主張して、誤ることもなかったし、映画関係者以外は沢尻エリカを非難することもない。
映画関係者は恐らく沢尻を庇うだろうが、
それも当然あり、
沢尻も関係者以外には、
誤る必要はないだろう。
ファンはどうかであるが、
ファンはそんなキャラクタターの沢尻エリカ・ファンだ。
誰も沢尻エリカを責めもしないが、
非難されたも居直るのも沢尻エリカだろう。
テレビは決まったタレント達が、
それぞれポジションを守っての凭れあいである。
変わったキャラクターの出現は、
お笑い以外は認めないのである。
朝から晩までお笑いタレント出演するテレビ番組で非難されようが別に関係ないと大見得を切ってもファンは許してくれるだろう。舞台挨拶でも特別に媚を売る必要もなく、作品を観れは分かるぐらいの傲慢な役者がいてもいいだろう。「女王様」とか呼んだのはマスコミであり、女王様ぶりを発揮しても今更非難などは筋違いだ。
と、「私沢尻エリカの味方です』と宣言しても、
迷惑かもしれないが、
そんなことは兎も角として、
変わったキャラクターで、強烈な自己表現があっていいような気もするし、クローズ・ノートの監督も認めているように役者としての沢尻エリカは非凡な才能があると言うし、天才の変人振りを称えるぐらいのおおらかさも必要だろう。
表現する側の人間とか、表現する立場とかの言葉は少々意識過多のところもあるが、それも芸能マスコミが持ち上げ過ぎて、女王様などと言っているからだ。
誰かが真似したから、
我も我もと後から続いて、
多くの人が真似をして批判する必要もない。
長いこと芸能界にいる人間たちが、
集団暴力的なことをやる事は、
なんとも情けないものだ。
謝罪会見でぶちきれ挨拶の原因を尋ねられ、
「原因はある。私情を持ち込んでしまったことについて謝罪します。 プロとして、あってはならないこと」
と言っていたが謝罪の必要もない。
「ファンの前であの姿を見せてしまったことを後悔している。プロと して失格なことをしたということは受け止めている」
とも言っていたが、後悔とか失格の言葉はどんなものだろう。
沢尻エリカは最後までぶちきれて、
女王様として構えていた方が方がよかった。
自意識過多気味に、自己否定してしまった。
それでも私は沢尻エリカの味方です。

