何処にでも熱烈なタイガースファンがいるのは日本の不思議だ。
岡山県でトラのニュースだと参議院選で落選した、
自民党の大物政治家を思い出すが、
そうではなく阪神タイガーズのトラだ。
片山虎之助さんのトラは虎、
フーテンのトラさんは寅を書く。
阪神タイガースのトラは虎に違いないが、、、
とくだらない事で悩んでみるが、
それにしても、
タイガースファンの熱烈さは日本全国に及んでいる。
何処の県でも熱烈なタイガースファンのグループがある。
それは日本の不思議の一つだ。
| 日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 |
| 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 |
| 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 |
| 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 |
| 29 | 30 | 31 |
何処にでも熱烈なタイガースファンがいるのは日本の不思議だ。
岡山県でトラのニュースだと参議院選で落選した、
自民党の大物政治家を思い出すが、
そうではなく阪神タイガーズのトラだ。
片山虎之助さんのトラは虎、
フーテンのトラさんは寅を書く。
阪神タイガースのトラは虎に違いないが、、、
とくだらない事で悩んでみるが、
それにしても、
タイガースファンの熱烈さは日本全国に及んでいる。
何処の県でも熱烈なタイガースファンのグループがある。
それは日本の不思議の一つだ。
名言 「安倍内閣は民主党には味方のような敵」
首相続投宣言で最も利益を得るのは民主党だとある評論家は仰る。
なる程と思う。
安倍首相退陣で臨時にしろ次の内閣が発足し、
挙党体制になると、安倍さんよりは手ごわいわけで、
自民党の人気回復のきっかけにもなりかねないし、
風向きは予測もつかないと言うわけである。
民主党は、内部にクラスター爆弾を抱える寄せ集め政党である。
内部分裂の危機は何時でもあるわけである。
郵政選挙の小泉旋風さえ逆手にとっての巻き返しで勢いずく民主党は一枚のメールで牙をもぎ取られた。
記憶に新しいところであるが、
それから1年も経たないうちに逆転した。
自民党の側から見ると逆で、
しくじりは民主党のしくじりで帳尻が合うになっている。
政治の波は何時でも動いているのだ。
迷言 「丸川珠代悲劇を語る」
東京選挙区で奇跡が起きた。
丸川さんが当選して自民党の組織票を独り占めした、
大物候補保坂三蔵さんが落選した。
選挙戦の模様を見ると、
保坂さん圧勝が予想されたし、
丸川さんの住民票問題が発覚すると、
もう丸川さんは次の選挙を狙えと思ったほどで、
100%当選はないと思っていた。
わからないのが選挙である。
惨めささえ感じた丸川さんの選挙戦は、
終盤ではお涙頂戴の悲劇が語られ、
白け無しには見られなかったが、
お涙頂戴の物語が功を奏したのか当選した。
赤いスーツで登場の丸川さんに代わっての長い挨拶は、
ご存知安倍総理大臣の家庭教師元警察官僚平沢さんである。
何度も強調するのは丸川さんのがんばりであった。
有名人の選挙区からの当選は意味がある。
東京HIV訴訟原告団員川田龍平さんの当選も、
大きな意味のある当選である。
民主党候補のらくらく当選は風であるが、
丸川、川田二人の当選は都民の意思である。
明らかな民意である。
馬鹿なと言う声もあるだろうが、
最初から浮動票獲得しかない選挙は、
少しばかりの知名度では勝てない。
単純な知名度以外の期待で二人は当選したと思う。
住民票問題も、おっとりした丸川さんだから誰も責めはしない。
涙を誘う悲劇の語りも、
丸川さんだから許されるのだろう。
個人的にはテレビ朝日の本番中に酔っ払い状態でうろつく丸川さんの姿が印象に残っているが、庶民的な感じが東京都民の支持を得たと言える。
降って沸いたような参議院選挙立候補の話を引き受けた、
丸川さんはやはり只者ではなかった。
東大卒だとの声もあるが、そんな事は関係ない。
雨の中で必死に訴える姿は、選挙の形も変えるかもしれない。
迷言 「トップ当確者は安倍個人応援団団長山本一太」
何かが起きる亥年の参議院選挙は終わった。
格言は正しかった。
亥年の参議院選挙で民主党は大躍進し、
自民党は歴史的惨敗だった。
予想はしたが予想ははるかに超えた結果になったというのが、
2007年の参議院選挙だという人が多いだろう。
個人的興味は開票放送と同時当確は、
あるいは最も早い当確は誰かだった。
当選確実の判断の正確さは驚くばかりであるが、
開票と同時に体制が判明するとあっては、
拍子抜けの部分もあるが、
トップ当選確実への興味があった。
トップ当確は開票の速さではなく、
出口調査などでの他の候補者との差である。
トップ当確は圧倒的な支持での当選という政治的名誉ともなる。
その名誉あるトップ当確者はテレビでお馴染みの山本一太だった。
地元では圧倒的支持の山本一太も、
支持率下降の安倍内閣の人気と共にテレビ出演も少なくなっていた。
しかし、ブログは有名人のブログとしては珍しく人間的温度が感じられる人気ブログだ。る。人気がある。
安倍内閣恩賞行賞人事で、
大臣就任もあると思われながらも、
唯一冷遇されたといっても過言ではない山本一太だ。
選挙戦突入前にブログの更新さえいちゃもんを付けられた山本一太である。
しかし、圧倒的得票のトップ当選、トップ当確であった。
安倍自民党惨敗の参議院選挙のトップ当確者は、
安倍個人応援団団長を自認し冷遇された山本一太であった。
参議院選挙は現在も進行中だ。
午後四時現在の投票率は33.4%と前回を下回っている。
予想外の結果、 それとも予想通りか。
もちろん投票率であるが、 熱気を帯びた割りには,
投票率は悪い。
国民は白けていたと言うのが実感だ。
この調子だと安倍内閣は安泰かもしれない。
投票率が悪ければ与党が有利との様相は,
全てのマスコミの共通のものである。
午後8時の締め切りまでどれだけ投票率が延びるか、
各政党は気が気ではない時間になってきた。
参議院 選挙すんで、次は何時
投票所 迷いて聞くは 鉛筆だ
期日前投票の伸びと、締め切り時間の切り上げと、
どっちに有利に働くか。
期日前 行って日曜は 退屈だ
わからない 比例代表 何時までも
早すぎる 当確うたれ 疑心暗鬼
開く前に 当確うたれ 夢の中
名言「まだ見ぬ世代へ残すものを考えるのが今を生きる者の務めだ」
肺がんを宣言し、
療養中の筑紫哲也さんの声の出演であった。
久しぶりに聞く筑紫さんの元気そうな声に懐かしさを感じたが、
病気治療中で元気と言うのも変だと、
本人も笑うほどの元気さであった。
参議院選挙前で、
現在の世相に何か言いたくて、
我慢できなくなっての筑紫さんの多事争論である。
ほかならぬ篤実な人筑紫さんの言葉には説得力があり、
そして、悲壮感もあり、
効果は十分にあっただろう。
テーマは「まだ見ぬ世代へ」だった。
ネイテイブ・アメリカンの長い歴史の末に見出された魂の言葉が筑紫さんの伝えたいことだろう。
「まだ見ぬ世代」とは延々と続く人間世界の自分達より後の世代、これから生まれてくる世代である。その世代へ残すものを考えるのは、現在を生きる者の責任だと言う重要なテーマでもある。
簡単に言うと現在できることを、やれ、と言うことのようだ。
「まだ見ぬ世代へ残すものを考えるのが今を生きる者の務めだ」と言うネイテイブ・アメリカンの言葉は、如何にも業らしい言い方で、筑紫さんには似合わないが、本人も十分認識しているから、大それた事は言わないがの断りもあった。
筑紫さんが言いたいのは、
「投票くらい行きましょうよ」である。
元気な声だった。
魂の叫びにも似た筑紫さんのけである。
「まだ(未だ)見ぬ世代へ」は、
若い人たちへの呼びかけでもある。
迷言 「凶悪犯罪で顰め面よりは、現金投げ込みの呆れ顔の方が良い」
「27日午後7時10分ごろ、東京都文京区千石2のマンションに住む女性から「ポストに現金入りの封筒が投げ込まれている」と110番があった。警視庁富坂署が調べたところ、1階入り口付近のポストのうち、13世帯分から現金計130万円が見つかった。」
「28日午後5時半ごろ、埼玉県川口市朝日1のマンションで1階の集合ポストに大半が10円玉の現金約9000円が入った巾着(きんちゃく)袋が投げ込まれているのを、帰宅した住民女性(69)が発見した。」mainiti
自分の部屋に現金が投げ込まれることを考えると、興奮してくるが、
そんな馬鹿げた発想も満更あり得ない事でもないと思わせるような現金な投げ込み事件が続いている。
豊かな国で金が余っている証拠でもあるが、
経済至上主義社会への抗議のような気もする。
「報謝」「修行の為」の意味深々な一万円札置き去りは音沙汰がなくなり、
一応の区切りがついたのか、それとも冷却期間と判断して沈黙かだろう。
何とも金にまつわる不可解なことが多い。
私もそうだが、
自分のところにも投げて欲しいと思っている人も多いだろう。
空から金が降ってくる。
郵便受けに金が入っている。
そんな光景は宝くじ以上に興奮するのではないか。
宝くじは当たるわけが無いと思っても、
当たりが確認されると自分のものだと保障されるが、
投げ込まれた金は自分のものでもなく、かといって完全に自分と切れるわけでもなく、警察に届けても半年は気になるわけで、犯罪的な危険臭があるから刺激的であり、半年が過ぎて自分のものになっても、使うのにためらいがあるだろう。
マンションなどに投げ込むよりは、
福祉などに寄付と言うことを考えて欲しいが、
寄付してもその金がどう使われるか定かではないし、
馬鹿らしいと思っての愉快犯的なところかもしれない。
自分の生活が困っていれば出来ないことだし、
好きにやって頂戴とでもいう意外ないが、
豊かな国日本は、金の余っている人は多いようだ。
さすが博多芸者は違う。
さすが九州の女だ。
さすが博多のオナゴたい。
さすが九州のオナゴばい。
さて、どんな言い方が正しいかは九州の人に聞かなければ分からないが、さすが博多芸者だ。
60歳の新人は芸者ならずとも驚きであるが、
定年退職で、
熟年離婚におびえながら、
その後の人生に不安を感じる団塊世代の親父達には、
勇気百倍のニュースと言うことになる。
いくつになっても、
新人と言う言葉は新鮮で、
挑戦はいくつになっても新鮮で、
新世界への船出は何時でも新鮮だ。
女の60歳を考えてみると、
現在の60才は若いのである。
芸者になっても乳母桜などとは呼ばせないような色気もあるわけで、客としても安心して呼べる、敷居の高くない安心芸者と言うことになる。
女60まだまだ盛りで、恋の一つや二つはやりそうだ。
それが今時の60歳の女である。
何とも時節を得ためでたい話で、
再チャレンジのもっとたるものだ。
これから他の土地でも60歳の新人芸者が誕生して、
花町も活気付いてきたら、
女性の再就職とか再雇用に役立つかもしれない。
職業欄の芸者が認められ、
社会保険も厚生年金の加入も芸者でできるようになれば本物だ。
名言 「謹んでお受けします」
大相撲名古屋場所の活躍がめざましかった琴光喜は当然大関昇進だ。遅咲きの大関などの活字は納得いかないファンもあるかもしれない。とっくに大関になっていても可笑しくなかった琴光喜大関昇進は決して遅くはない。早い時期に大関になっていたら、あるいはなどの推測は何の意味もないが、スムーズに昇進しなかったが、確かに昇進した大関の座は、確かなものであり、名大関になるだろう。
「謹んでお受けします」の、
簡単で意味ある言葉は誰にでも分かる。
やたらと難しい四文字熟語にはしらけていたが、
子供から大人まで分かる言葉は、
簡単でも単純でもいいものだ。
柔和さの漂う人の良い青年である。
勝負になると鬼の形相などの言葉も存在しないほどに、何時でも柔和さの消えない顔は、厳しい勝負の世界では珍しいが、必ずしも勝負での厳しさが出ないわけではない。名古屋場所でも何度も見せた勝負顔は一瞬にして変わる。厳しい顔が目立たない大関と言うことになる。
珍しい部類の大関だろう。
優しい大関である。
外国人力士全盛で儀式などの形としての伝統は守られても、人間的精神的文化的伝統は守られていない。神聖なはずの土俵上での無作法とも思える行為なども多く、土俵外でのあってはならない行動などは、外国人力士の限界なども感じるほどである。八百長騒動なども必ずしもなかったのではないと多くのファンは思っている。
しかし、白鳳の横綱昇進と琴光喜の大関昇進で、多くの疑惑さえ払拭されたような錯覚さえおぼえるが、旭鷲山事件や横綱朝青龍のモンゴル帰国事件などで、大相撲騒動の根の深さ感じる。
朝青龍は相撲協会としては貴重な横綱かもしれないが、
ファンからすると、横綱の資格などない。
そんな事はどうでもいいが、
琴光喜には名大関になってもらいたいし、
名大関の風格だ。
大関昇進を見送られてからの日々も、
琴光喜は大関であり続けたと思うファンも多いと思う。
むさ苦しくなった大相撲界に吹く涼風が琴光喜だ。
織田信長の末裔で男子フィギアースケート日本代表織田信成選手が、
飲酒ではなく酒気帯び運転だ。
飲酒ではなく酒気帯びを協調するのは、織田信成選手の人間性を考えてのことで、罪の意識もなくついついやってしまう程度のことだと強調したいためである。もちろん酒気帯びでも大事故への繋がる可能性もあるしやってはいけないことに違いはない。
ミニバイクの運転はいかにも織田信成らしい。
そのミニバイクでの酒気帯びであった。
どうしたことかと考えるが、あさはかである以外には思いつかない。
有名人の悲しさで、有名人税の一種かとも考える。
一般の人ならと思ったりもするが、
飲酒運転による悲惨な事故の頻発で、
様々な対策が講じられる昨今の事情を考えると、
浅はかとしか言い様が無い。
織田選手は見るからに純真である。
浅はかであっただけであり、悪人ではない。
人の良い青年であり、
悪いことができる人間ではない。
幸い事故もなかった。
ミニバイクは、
いかにも織田選手らしいが、
もう懲りただろう。
この事件が戒めとなり、
現役中は禁酒でがんばって欲しいものだ。

空から見る沖縄はその名の通り海洋に漂う小さな縄であった。大海原に浮かぶ小さな縄が沖縄であった。始めてみる空かの風景に、始めてみる沖縄に私は感動し感嘆した。
寄り添う沖縄出身の妻は飛行機の下の沖縄よりも、感動する私を見て喜んでいた。私にとっては初めての沖縄でも、妻にとっては見慣れた風景である。沖縄への新婚旅行などいやだと反対する妻を説き伏せての沖縄行きであった。
飛行機の中で気温の変化が感じると錯覚するのは、鮮やかな光の変化であった。妻の親戚や友達との触れ合いで、沖縄は日常的に自分の周辺に存在したが、空港を出て沖縄の光に包まれて感じるのは日常的な沖縄ではなく異国情緒の沖縄であった。
空が違っていた。空の青さが違っていた。
海が違っていた。海の青さが違っていた。
知っているはずの沖縄は、私達の新婚旅行の邪魔も、私の感動の妨げにもならなかった。今は天国の妻は旅行中、親戚にも友達にも会いに行かなかった。妻が守ってくれた新婚旅行は私のための旅行でもあった。
透明感のある光、透明感のあるブルー。
何度も南太平洋の島々や東南アジヤの国々に旅行し、南国の風景を知り尽くしていると自負する私が、沖縄で透明感のある光に感動する。陽射しの透明感など表現することはできないが違いは確かにあった。
妻に透明感のある光への感動を詩的表現で語った。私の話が終わると、妻は手を翳して太陽を見詰めるかのように微笑み初恋の話を始めた。
新婚旅行で初恋の話をする無神経な妻の初恋は国語の先生だった。大学卒業したての東京出身の若い教師は女生徒の共通の憧れであった。今流に言うイケメン教師は砂浜に溶ける海の青さを「限りなく透明に近いブルー」と表現した。
妻は感動した。
「限りなく透明に近いブルー」に感動し先生を尊敬した。
小説の「限りなく透明に近いブルー」を読むまでは、その言葉が先生の言葉だと思っていた。
大学で始めてその小説を手にした妻は、
「初恋を封印した」と言う。
封印は解かれたのかと聞くと、
「透明感のある光は限りなく透明に近い光」
と微笑む。
封印された初恋と封印を解かれた言葉「限りなく透明に近いブルー」が、私の沖縄である。
私は毎年、妻が初恋の封印を解いたに日は沖縄にいる。
透明な沖縄の光に抱かれて、天国から私を見ているだろう妻の好きだったハマユウの花を求めて、熱く焼けた砂の上を歩く。
微かなそよぎのハマユウの花は、妻の微笑みにも似て涼風となる。
新婚旅行、
透明感の光、
限りなく透明に近いブルー、
封印された初恋、
風にそよぐハマユウの花と、
妻の死を打ち消してくれる思い出が沖縄にはある。
毎年一人できた妻との思い出の場所に来年からは、娘達と一緒に来ることができそうだ。
サミットを控えた沖縄は変わりつつあった。
そんな時期であったが、
妻は「変わるものですか」と言った。
変わらない沖縄が妻は好きであった。
変わらない空に、
変わらない海が沖縄だ。
旭鷲山は、
「この事件に巻き込まれなければ現役を続けていた」と言う
この事件はモンゴルの知人から金鉱脈開発会社を紹介してほしいと頼まれた旭鷲山が、モンゴルの知人に日本の暴力団を紹介し、両者の間でのトラブルで、旭鷲山が脅された事件らしい。
よく分からない話である。
紹介した暴力団と関係がなければ紹介などできるわけもなく、
まして金鉱脈開発のビックな話である。
大相撲の力士と暴力団の関係は、
力士が被害者であっても関係は関係であり、
何らかの繋がりがあるのには違いない。
恐喝するにはそれなりの弱みを握っているわけで、
弱みとは一般的には知られては困るとことである。
この場合の弱みは当然金鉱脈開発に関することであり、
ほかの事ではなく、
暴力団の方が何らかの形で騙されての意趣返し恐喝だろう。
この事件は別にしても、
相撲関係者の知られて困る事は結構多いだろう。
スキャンダルはご法度の厳しい世界だから、
知られては困ることも多いわけで、
暴力団は鵜の目鷹の目で強請りのネタを探している。
一度食いつかれると行つくところまで行く。
それが暴力団の常識だ。
モンゴルの金鉱脈開発などの途轍もない話は、
暴力団との深い関係がなければ起こりえない。
繰り返すが、話の発端は知人から金鉱脈の開発会社の紹介を頼まれたことだ。そんな話を旭鷲山に頼む事が可笑しいと、あるスポーツ・ライターは首を傾げる。
そんなことを頼むぐらいだから、モンゴルでの力士への信頼度はかなり高いものだと言える。それとも旭鷲山が特別かとも思ったりする。
モンゴルの特別の人が、大相撲で活躍する特別な旭鷲山へ金鉱脈開発会社の紹介を頼んだ。旭鷲山はその頼みに答えた。
暴力団を紹介した旭鷲山の真意がいま一つ分からない。
紹介した人間が何処の誰か知らなかったでは済まないだろうし、
その恐喝事件がなければ引退もなかったなどは、
理解しがたいものがある。
旭鷲山はモンゴル人力士のトップランナーである。
いわばパイオニアで大リーグにおける日本人プレイヤーでは野茂に匹敵する。
その旭鷲山に対しては、
モンゴル出身力士は敬意を表するのが当然だが、
そうでもないらしい。
朝青龍とは敵対関係にある雰囲気だ。土俵の上でもけんか腰であった朝青龍の態度に、先輩への礼を知らない無礼者と腹立たしい思いをした事もあった。
八百長騒動も沈静化した大相撲界に、
また新たな問題がおきなとも限らないと思わせる事件だ。
名言 午睡の導入
「ブダペスト(ロイター) シエスタ(午睡)の導入を、法律で定めるべきか否かーー。東欧ハンガリーで、そんな内容の国民投票が実施される可能性が出てきた。同国の選挙管理委員会が23日、国民投票に適した問題だと判断したためだ。 」CNN
就任は明日25日だが、
女性大統領誕生はこれからのインド社会に大きな影響を与えそうだ。
古い歴史の国インドでは女性活躍は目立たない。
インド書生といわれて女性といわれると、
最近の女性としてはロバート・ギアのキス事件の相手を思い浮かべるが、
時としてマリ・アンヌさんを思い浮かべる。
しかし、多くの場合、直ぐにヒンズーの女神を思い浮かべるが、
眉間も真ん中に思念の目を持つインド女性の神秘的な魅力は、
女神そのものと思っていた。
そのヒンズーの国、女神の国インドで女性大統領が誕生したのだ。
勇猛させ感じる女神シバアが思い浮かぶ、
ヒンズー教の国の最高権威が女性と言うことになった。
東洋的宗教の原点であり、
仏教の故郷でもあるヒンズー教の神々の中心は女神である。
くどいようだが、女神の国インドの次期大統領が女性である。
インドの大統領は政治力とは関係ない権威である。
日本の天皇とは違うし、タイの国王とも違うし、イギリス的でもない。
権威だけの君主の国はあっても、
権威だけの大統領はインドだけかも知れない。
権威だけでも、大統領は大統領であるし、
何といっても国家元首である。
権威だけだから特別の意味の大統領である。
直接投票ではなくても国民が選んだ国家元首である。
南国の街角の木陰で涼む気の良い老婆を連想させる風貌は、
東洋の神秘を秘める国インドの国母に相応しい。
何処にいても違和感の無い老婆の持つ不思議な慈愛が滲み出る感じだ。
ヒンズーの女神シバ神もその前では額ずくと思える風貌だ。
カースト制度のインドで最高位はバラモンで、その次が武力階級のクシャトリアである。日本で言えば武士階級だ。25日に就任するインドの新大統領プラテイバ・バテイルさんは武力階級クシャトリア出身の女性大統領だ。
身分制度の厳然と存在する世界での女性の社会進出は、身分制度の無い国々とは比べられない苦労があるだろう。インドでの女性の代表的な人はネールでありガンジーであり、偉大な父を持ち、先祖をもつがプラテイバ・バテイルさんはそうではなかったようだ。
政治力は無くても、政治的影響力は無くても、インドの象徴であり国民の誇りである。女性大統領を戴くだけでもインドは最先端を行く文化的なかおりを持つ国に変わりそうだ。
「朝は朝ズバで目覚めて一日中みのもんたを見ている」と、
言うおばさんの全ての情報源はみのさんだ。
おばさんの主張には反対が許されない、
信仰的なものがあって、
日記兼家計簿には、
おばさんの言論の確かさを証明する、
みの語録がつづられている。
「みのもんたで目覚め、
みのもんたで昼食をとり、
みのもんたを見て寝る」
と、得意げに嘆くおばさんだが
おばさんではなく連れ合いのおじさんのことだと聞かされると、生活はみのさんと三人と言うことになる。弘法大師と二人連れと言う言葉は聞いたことがあるが、みのさんと三人連れは、、、現在的な言葉のような気がする。
みのもんたさんのおかげで、
おばさんは自由な時間がもてると感謝しているが、
おじさんに言わせると、とんでもないことで、
みのもんたのおかげで、
食いたくもないものを食わされていると嘆く。
あるときはキャベツのまとめ買いで、
あるときはシメジのまとめ買いで、
あるときはマンゴーのまとめ買いで、
あるときはナットのまとめ買いと、
おじさんは怒り気味だが、
話がどうもみのさんと、
関係ありそうでなさそうな感じだ。
なるほど、高額納税者の働きは違うと関心する。
テレビ画面から見ても、確かに、明らかな二日酔いの日もある。
そして、力のこもった暴言に近い発言もある。
兎にも角にも、みのもんたさんが、
現在のテレビ界では重要な位置にいるのは間違いない。
異常とも思える現在のテレビ番組の偏りは、
細木数子に代表される。
占い、占い、では人間はやっていけないし、
納豆ダイエットよりも性質が悪い。
みのさんの番組も、同じような偏りで、
顔をだし、名前を被せれば番組ができると思っている、
テレビ局に問題があるだろう。
局の特色も無くなった現在のテレビ界では、
視聴率の取れるというだけで、
何でも許されると錯覚した時代への逆戻り傾向だ。
逆戻りではなく、
テレビ界の宿命で、
延々とやってきたことかも知れない、
安全パイを使う、
また真似る番組つくりだ。
パロデイかと思われる番組を堂々とやっているのだから、
何ともならない。
同じ時間に同じタレントが数局の番組出演などは、
盆、正月は当たり前だが、そうでない時期でもある。
深夜番組では当たり前だ。
みのもんたさんの朝の番組を真似たような番組もある。
もちろんパロデイもあって、名物番組に違いない。しかし、異常さもある。それは関係の無い明らかにお飾り的な若い女性の数だろう。
中には朝から風俗まがいの服で立っている娘もいる。
それで、定期的に意味もないがカメラが向けられる。
画面に若い女性が現れる仕組みだ。
賛否両論あるだろうが、一応は報道的な番組である。
ワイドショー的な報道番組では、仕方ないかの思いもあるが、
世相をズバっと切る朝の番組では、ひな壇の女性は要らないだろうと、
誰かが言っていたのを聞いたことがある。
それで、意識的に見ているとなるほどの思いはある。
テレビの生放送の途中で倒れそのまま逝くのが夢だと言うみのさんが、
何とも可笑しいなカブトムシのような衣装で登場した日には、
この世の終わりを感じたの声もあった。
影響力の大きな、高額納税者のみのさんである。
名言 「悪すぎる冗談だ」
「塩崎官房長官は、
松岡利勝前農水相の事務所費問題を、
「芸者の花代として使ったと聞いた」と発言し、
マスコミに取り上げられてから撤回したことについて、
「悪すぎる冗談だ」と言い、
下村博文官房副長官を通じて厳重注意したと言った。
山本卓農水副大臣は、
松岡農水大臣の事務所費問題は、
何とか還元水費ではなく、
「芸者の花代だと聞いている」と言った。
これに対して塩崎官房長官は、
「悪すぎる冗談だ」と、
「こういった発言は二度としないように」と、
厳重注意したというのだ。
公の人間が公の場での発言を冗談だと撤回する。
一度口にした発言が簡単に撤回出来るかどうかは別にしても、
言葉の流れの中での比喩的なことであっても、
言っていい事と悪い事もあるだろう。
「アルツハイマーの人にも分かる」
発言の麻生外相も発言もなんともならないが、
この副大臣発言も情けないものである。
しかも、下村官房副長官を通じでの厳重注意だという。
その、下村官房副長官は河野一郎官房長官談話を否定して、まだ謝罪もしてない官房副長官であり、これまでの日本政府を否定する閣僚の一人である。
あの安倍総理でさえ、
政府見解を尊重するといい、
アメリカ訪問の為とはいえ謝罪しているが、
この官房副長官はいまだに、
日本政府の見解を否定する内閣要人である。
本人達はそれほど難しく考えない自己主張的発言に違いないが、
現在、衆議院議長である河野洋平元官房長官に唾するものであり、
日本政府見解を公の人間が否定したものである。
「河野談話によってアジアの国々は一応の精神的決着をつけて、
日本の向き合うことになった。」
といわれる程にアジアの国々と日本の関係を修復したのが、河野談話であったと言う人もいるほどに、重要な河野談話である。
下村官房副長官はそんな閣僚だ。
それとこれは別問題であるが、
厳重にしろ注意で終わる問題かどうかだ。人道的とか社会的とかでなく、遺族にとっても許しがいた発言である。
芸者の花代に使ったかどうかは分からないが、
「死者に鞭打つ」
まさにそんな発言である。
社会的制裁を受ける格好の遺族は何もいえないかもしれないが、
そんな発言が許されて言い訳がない。
何時でも思うが、教育基本法はそんな人たちが作った法律である。
年中謝ることが仕事のような塩崎官房長官には同情もするが、
自らも政治団体問題が浮上しているようで、
何をか言わんである。
同姓同名は意外に多い。同姓は当然多いわけで、全国的に多い姓だとその数は膨大である。最近は流行の名前などがあって、同じ年に生まれた子供に同じ名前も多いようだが、名前はまずは両親や祖父母と言った身近かな人たちから一字いただくのが、最も多いだろう。尊敬する人などから一字いただいたり、そのままいただいたりする事もある。
占いや字画での命名多く様々であるが、人間の考える事は、概ね同じようなことで、命名にしても同様である。
同姓同名による被害などを聞くのは少ないが、時にはそんな事があっても不思議ではない。
同じ会社に同姓同名がいるなどは滅多ないないことのように思われるが、そうでもはく、問題になることがなかっただけだろう。
判別は生年月日まで同じ同姓同名者は少ないから、個人情報の判別には問題もないのだろう。
それでも、同じ会社にいる同姓同名者が事件などを起こすと、同姓同名者として被害を蒙る事がある。
フジテレビの経費流用事件で報道局長が懲戒処分されたが、他の同姓同名の役員が迷惑を蒙っているというニュースがあった。同姓同名の二人が同じよな管理職にいることは滅多にないことで、仕方ないとも思うが、とんだ災難だ。
「北海道旭川市が1972年度から36年間にわたり、住宅の固定資産税を所有者とは別の同姓同名の男性(故人)とその妻に誤って課税していたことが21日、分かった。
市は「明らかなミスで申し訳ない」と家族に謝罪し、課税額が確認できる88年度以降20年間分の計13万2300円に利子をつけて返還することを家族に通知した。市資産税課によると、住宅は71年に建てられた。課税されていた男性は約20年前に亡くなったが、市はその後も妻に課税を続けていた。
今年4月末、固定資産税納税通知書に所有していない建物の税金が含まれていることに家族が気づき、市に届け出た。市は翌月謝罪した。」読売新聞
36年間も間違い続けるのは不思議なことである。他にも気づかずにどうせ同姓同名者の税金や他の罰金などを払い続けている人もいるだろう。
同姓同名者の二組の男女が結婚したなどの、
面白い話も聞いたような記憶がある。