2007年05月31日

ホロコーストのアイヒマンの旅券

迷言 「一人の死は悲劇だが、数百人の死は統計でしかない」

アイヒマン逃亡用旅券(朝日新聞10版国際参考)

 ナチスの親衛隊中佐アドルフ・オット・アイヒマンの偽造パスポートがアルゼンチン司法当局が公開した。

 ホロコーストの中心人物の一人として、
 イスラエル情報機関の追跡を受けていた、
 アイヒマンがアルゼンチンに潜伏しているのを、
 発見されたには1960年だった。

 イタリアからアルゼンチンへ向かうためのパスポートは赤十字国際委員会発行のものだった。勿論本人からの虚偽申請によるパスポートである。1950年にイタリアからアルゼンチンへ向かった元ナチスドイツの親衛隊中佐ルドルフ・アイヒマンが発見されたのは10年後の1960年だった。

 アイヒマンは終戦当時はアメリカ軍に拘束されながら、うまく潜り抜け、アルゼンチンへ出発するまでの5年間国内を逃げ回った。移民団に混じってのアルゼンチンでの生活は、親ナチスのベロン政権下で比較的安穏な生活であった。それは家族を呼び寄せたのでも分かるが、ユダヤの情報機関モサドから逃れることは出来なかった。

 彼の存在がモサドに知られるきっかけは、
 結婚記念日の為の花束購入であった。
 世紀のお尋ねもの、
 捕まったら死刑は確実なアイヒマンが、
 結婚記念日の花束の為に捕まったのだ。

 1961年に始まった裁判では、人権()に対する罪など、
 15の罪で裁かれた。

 イスラエル政府は全世界への裁判の中継を許可した。
 それはイスラエル政府のホロコーストへの世界の注目と、その残虐性を証明し、多くの証言者の言葉を直接証言者の声で伝える事によっての宣伝的効果を生み出すものだった。

 その裁判中アイヒマンは防弾ガラスのケースの中で、
 世界の注目を集め続けた。

 そして裁判中アイヒマンは「命令に従っただけ」と主張した。

 そんな主張に意味などなく、
 彼はイスラエル史上唯一無二の死刑囚として、
 1962年6月1日に刑の執行であった。

 「一人の死は悲劇だが、数百人の死は統計でしかない。」
 アイヒマンの最後の悪足掻きの言葉である。

 アドルフ・オット・アイヒマンは、ナチスのホロコーストの中心人物として、活躍し、彼なしではホロコーストはなかったと言われるほどの中心的役割を果たした。彼が何故ユダヤ人に憎悪を抱くのは、オーストリア時代にユダヤ人と似ていると苛められたことが影響しているらしい。勿論そんな事は学者や研究者の言うことで、本人の言葉ではないだろう。
 彼の名前と裁判模様が忘れられないのは、処刑方法が一寸切りだと教えらたからだった。そんな処刑方法を考え出したのは誰か知らないし、また、誰に教えられたかも定かでない噂だが、強烈なインパクトとなって記憶に残り続けている。


 アイヒマン実験というのがあったらしい。
 イエール大学の心理学者スタンリー・ミルグラム博士の実験である。
 
 「アイヒマンとその他虐殺に加わった人達は、単に上の指示に従っただけなのかどうか?」の実験だと言う。

 詳しいことは分からないが、ある程度までは命令に従っても、
 それ以後はむしろ積極的になるのが普通のような気がする。




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2007年05月30日

石原真理子作品完成?

13人の男でお馴染み石原真理子の,
自叙伝の映画化かは、話題性の高さのわりには、
ぱっとしたものが無かったが、
ついに試写会までこぎつけたようだ。

それだけでも立派なことである。
それ以上は誰も望まないと思うが、
さすがは石原真理子である。
話題性の乏しさなど認めない。
簡単には物事を収める気など毛頭ない。

初監督作品の編集段階でのプロデユーサーとの確執が浮き彫りになり、試写会も未完成状態で行われる不手際であった。

 いや不手際ではなく、石原真理子さんが苛められたのだ。
 「綺麗で、頭のいい」石原さんを苛める剛もの、
 世間知らずがいたとは驚きだ。

 「綺麗で、頭がよければいじめられる。ワハハハ」は流石であり、石原真理子の面目躍如と言ったところだ。

 試写会の評判などは分からないが、
 未完成作品を見せられては、
 批評も出来ず、
 無駄な時間を過ごしたという事になるのか。

 公開は6月16日だと言うが、
 間に合えばいいにしても、
 未完成作品と変わり映えしないのではと思ったりもする。

 また逆に意外な才能を発揮して、
 面白い作品だったりするかもしれない。

 出演者の方々にご苦労さんとねぎらいの言葉を贈りたいと思う。

 映画「不ぞろいの秘密」はどんな出来映えか、
 試写会を見た人の意見を聞きたいものだ。

 「秘密がたくさんあって、
 頭がよくて綺麗」だと、
 
 やっぱり苛めたくなるのは人情かもしれない。
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横綱白鳳誕生


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今日の名言「精神一到」
今日の迷言「親方宣言」

 横綱白鳳が誕生した。
 テレビニュースでは協会からの使者を迎え、
 謹んでお受けしますのセレモニーだ。

 さて次ぐの言葉はなんだろう。
 多くの記者もテレビ出演者達も、
 息を呑んで次の言葉を待つ。

 「精神一到」であった。
 白鳳の決意を表す四字熟語は、
 「精神一到」であった。

 「せいしんいっとう」と読むが、
 呼んで字の如くとまではいかなくても、
 ある程度の意味は伝わってくる言葉だ。

 「精神を集中して物事に当たれば、
 どんな難事でもできないことはない」
 とアナウンサーの説明に、

 そんな所だろうと偉そうに構えて、頷いてテレビを見ていた。

 「精神一到何事か成らざらん」が一般的な使われ方の例だという。

 出典は朱子語類140巻とか言うが、
 そんな書物の存在すら知らないし、
 知った所でどうと言う事もないが、
 一応はそういうことらしい。

 それにしても何日かで、白鳳に風格が出てきた。
 八百長問題で揺れる相撲協会は、
 白鳳の親方が誰かでも揺れているらしいが、
 それもまたおかしな話である。

 白鳳の横綱昇進に水をさすことがないように明確にすべきだと、また偉そうにいうが、北の湖理事長が何日か前に、宣言しているという。

 協会が誰が親方か宣言する異常さが問題だと、
 またまた偉そうに思う。

 親方は無くても弟子は横綱まで上り詰めた。
 
 そんな感じの大相撲協会であるが、
 土俵を聖域として、
 女性さえ上げない伝統性を主張する大相撲なら、
 土俵を汚すような力士の振る舞いは、
 厳罰に処すものでなければならないと、
 また偉そうに思う。

 過ぎたことは兎も角、
 品格の出てきた新横綱の活躍を期待する。

 それにしても、横綱白鳳はまだ22歳である。

 日本人力士にも一踏張りも二踏張りも期待すると共に、
 アフリカ系の力士誕生も期待したい。




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国分太一主演映画と八千草薫

迷言「由美1号、由美2号がいる」

 映画「しゃべれども、しゃべれども」は、
 国分太一の落語が評判の映画だ。

 私の関心はもっぱら八千草薫だ。

 日本美人と言う言葉が現在も生きているなら、
 八千草薫は間違いなく日本美人、
 いや日本美人の原型だろうと思う。

 彼女の年は興味がない。
 彼女に年齢はないと思っているわけではないが、
 若い八千草薫も現在の姿と重なって存在するような気がする。
 
 喩え90歳でも100歳を超えても、
 八千草薫は日本美人の原型であり続けると信じている。

 彼女のあとを継ぐ女優さんは、
 日本美人ではないが由美かおるかも知れない。
 それは年齢不詳という意味でのあと継ぎだ。

 何年か前になるが、
 デーモン小暮テレビのバラエテイー番組で、
 由美1号と由美2号、、と、
 何人も由美かおるがいると言っていた。
 何十万年も生きてきたデーモン閣下の言葉には真実がある。

 なるほどそうかも知れないと、感心したことがあったが、
 八千草薫さんは原型であり、八千草薫は一人だ。

 あの話し方がまた日本的だ。
 怒鳴ったことも、
 喚いた事もないと思われる声の淑やかさは、
 日本的風景の中でしか際立つことはない。

 あの声は、砂漠の中でだと砂に溶け込み、
 海上だと波間に消える。

 風になど決して乗らず、
 日本的な風景の中では生き生きと増幅される。

 下町では夏の日の打ち水や、朝顔のすがすがしさを醸し出す。
 それに落語が絡めばそこは八千草薫の世界だ。

 京都的な、祇園的な、日本庭園的な、富士山が背景にあるような、そんな日本的風景の中ばかりではなく、下町でも山の手でも日本的風景には八千草薫さんの姿も声も映えるのだ。

 浴衣姿でうちわを持つ八千草薫さんが窓辺に座り風鈴が涼やかな音色をたてると、日本的風景そのものだ。

 「しゃべれども、しゃべれども」は、原作者は佐藤多佳子である。

 オフィシャルサイトに載る原作者の感想は、
 「『しゃべれども、しゃべれども』は、
 私がはじめて書いた大人向けの小説であり、
 もう十 年以上も前の刊行になります。
 落語家の二つ目の青年の希望と不安にあふれて日常、
 喋る事にコンプレックスを抱えた人々の苦労と交流、
 書きたいと思っていた二つのテーマが結びついて出来た物語は、
 かってなく難産でしたが、
 自分にとって、とても大事な愛しいものになりました。・・・・」
 と続く。

 最大の見せ場は国分太一の落語「火焔太鼓」だ。
 国分の落語の評判は上々で専門家の評価も概していいようだ。
 国分の元に集まった3人の個性は、
 現代社会の何処にでも悩める人だが、

 多くの人はそのまま心を閉ざしてしまうかもしれない。
 三人は落語に自らのコンプレックス克服の力を求める。
 三人の個性と国分の個性が絡み合い、
 コンプレックスが次第に消えていく。

 八千草薫さんは国分太一の祖母である。

 監督は平山秀幸で、
 主役勿論、国分太一で伊藤四朗、八千草薫が脇を固める。
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国分太一主演映画と八千草薫

迷言「由美1号、由美2号がいる」

 映画しゃべれども、しゃべれども」は、
 国分太一の落語が評判の映画だ。

 私の関心はもっぱら八千草薫だ。

 日本美人と言う言葉が現在も生きているなら、
 八千草薫は間違いなく日本美人、
 いや日本美人の原型だろうと思う。

 彼女の年は興味がない。
 彼女に年齢はないと思っているわけではないが、
 若い八千草薫も現在の姿と重なって存在するような気がする。
 
 喩え90歳でも100歳を超えても、
 八千草薫は日本美人の原型であり続けると信じている。

 彼女のあとを継ぐ女優さんは、
 日本美人ではないが由美かおるかも知れない。
 それは年齢不詳という意味でのあと継ぎだ。

 何年か前になるが、
 デーモン小暮テレビのバラエテイー番組で、
 由美1号と由美2号、、と、
 何人も由美かおるがいると言っていた。
 何十万年も生きてきたデーモン閣下の言葉には真実がある。

 なるほどそうかも知れないと、感心したことがあったが、
 八千草薫さんは原型であり、八千草薫は一人だ。

 あの話し方がまた日本的だ。
 怒鳴ったことも、
 喚いた事もないと思われる声の淑やかさは、
 日本的風景の中でしか際立つことはない。

 あの声は、砂漠の中でだと砂に溶け込み、
 海上だと波間に消える。

 風になど決して乗らず、
 日本的な風景の中では生き生きと増幅される。

 下町では夏の日の打ち水や、朝顔のすがすがしさを醸し出す。
 それに落語が絡めばそこは八千草薫の世界だ。

 京都的な、祇園的な、日本庭園的な、富士山が背景にあるような、そんな日本的風景の中ばかりではなく、下町でも山の手でも日本的風景には八千草薫さんの姿も声も映えるのだ。

 浴衣姿でうちわを持つ八千草薫さんが窓辺に座り風鈴が涼やかな音色をたてると、日本的風景そのものだ。

 「しゃべれども、しゃべれども」は、原作者は佐藤多佳子である。

 オフィシャルサイトに載る原作者の感想は、
 「『しゃべれども、しゃべれども』は、
 私がはじめて書いた大人向けの小説であり、
 もう十 年以上も前の刊行になります。
 落語家の二つ目の青年の希望と不安にあふれて日常、
 喋る事にコンプレックスを抱えた人々の苦労と交流、
 書きたいと思っていた二つのテーマが結びついて出来た物語は、
 かってなく難産でしたが、
 自分にとって、とても大事な愛しいものになりました。・・・・」
 と続く。

 最大の見せ場は国分太一の落語「火焔太鼓」だ。
 国分の落語の評判は上々で専門家の評価も概していいようだ。
 国分の元に集まった3人の個性は、
 現代社会の何処にでも悩める人だが、

 多くの人はそのまま心を閉ざしてしまうかもしれない。
 三人は落語に自らのコンプレックス克服の力を求める。
 三人の個性と国分の個性が絡み合い、
 コンプレックスが次第に消えていく。

 八千草薫さんは国分太一の祖母である。

 監督は平山秀幸で、
 主役勿論、国分太一で伊藤四朗、八千草薫が脇を固める。
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国分太一「しゃべれども しゃべれどもも」

迷言「由美1号、由美2号がいる」

 映画しゃべれども、しゃべれども」は、
 国分太一の落語が評判の映画だ。

 私の関心はもっぱら八千草薫だ。

 日本美人と言う言葉が現在も生きているなら、
 八千草薫は間違いなく日本美人、
 いや日本美人の原型だろうと思う。

 彼女の年は興味がない。
 彼女に年齢はないと思っているわけではないが、
 若い八千草薫も現在の姿と重なって存在するような気がする。
 
 喩え90歳でも100歳を超えても、
 八千草薫は日本美人の原型であり続けると信じている。

 彼女のあとを継ぐ女優さんは、
 日本美人ではないが由美かおるかも知れない。
 それは年齢不詳という意味でのあと継ぎだ。

 何年か前になるが、
 デーモン小暮テレビのバラエテイー番組で、
 由美1号と由美2号、、と、
 何人も由美かおるがいると言っていた。
 何十万年も生きてきたデーモン閣下の言葉には真実がある。

 なるほどそうかも知れないと、感心したことがあったが、
 八千草薫さんは原型であり、八千草薫は一人だ。

 あの話し方がまた日本的だ。
 怒鳴ったことも、
 喚いた事もないと思われる声の淑やかさは、
 日本的風景の中でしか際立つことはない。

 あの声は、砂漠の中でだと砂に溶け込み、
 海上だと波間に消える。

 風になど決して乗らず、
 日本的な風景の中では生き生きと増幅される。

 下町では夏の日の打ち水や、朝顔のすがすがしさを醸し出す。
 それに落語が絡めばそこは八千草薫の世界だ。

 京都的な、祇園的な、日本庭園的な、富士山が背景にあるような、そんな日本的風景の中ばかりではなく、下町でも山の手でも日本的風景には八千草薫さんの姿も声も映えるのだ。

 浴衣姿でうちわを持つ八千草薫さんが窓辺に座り風鈴が涼やかな音色をたてると、日本的風景そのものだ。

 「しゃべれども、しゃべれども」は、原作者は佐藤多佳子である。

 オフィシャルサイトに載る原作者の感想は、
 「『しゃべれども、しゃべれども』は、
 私がはじめて書いた大人向けの小説であり、
 もう十 年以上も前の刊行になります。
 落語家の二つ目の青年の希望と不安にあふれて日常、
 喋る事にコンプレックスを抱えた人々の苦労と交流、
 書きたいと思っていた二つのテーマが結びついて出来た物語は、
 かってなく難産でしたが、
 自分にとって、とても大事な愛しいものになりました。・・・・」
 と続く。

 最大の見せ場は国分太一の落語「火焔太鼓」だ。
 国分の落語の評判は上々で専門家の評価も概していいようだ。
 国分の元に集まった3人の個性は、
 現代社会の何処にでも悩める人だが、

 多くの人はそのまま心を閉ざしてしまうかもしれない。
 三人は落語に自らのコンプレックス克服の力を求める。
 三人の個性と国分の個性が絡み合い、
 コンプレックスが次第に消えていく。

 八千草薫さんは国分太一の祖母である。

 監督は平山秀幸で、
 主役勿論、国分太一で伊藤四朗、八千草薫が脇を固める。
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2007年05月29日

松本仁志の嘆き

迷言「フランス人に見せるために映画をつくったのではない」

 カンヌ映画祭で「殯の森」コンベンション部門でグランプリに輝いた。低予算の優秀作品「殯の森」は国内でも一気に注目される事になった。

 最高の作品へ送られるパルムドールはルーマニアの「4ヶ月、3週間と2日」だった。

 開会式では北野武監督のチョンマゲが話題をさらったが、
 最後も日本の作品が話題になった。

 そんな中で、先日カンヌ映画参加作品の一つである「大日本人」の監督松本仁志のインタービュー番組が放送されていた。

 何のための放送かは知らないが、
 松本仁志のグチを延々と放送している。

 お笑い芸人としては天才的な松本仁志が映画製作に挑戦した。
 それはそれで結構なことであり、
 カンヌ映画祭に参加したのもたいしたものである。

 しかし、評価は最低のものだった。
 最低の評価とは適切ではないかもしれないが、
 あのグチを聞いたらそうしか言い様がない気になってくる。

 最低である。

 作品を見てないから何とも言いようがないが、
 あのグチを延々と言っている男は最低な男である。お笑い芸人としては確かに天才的なものを持っている。しかし、カンヌ映画祭のことを話す松本は幼稚で傲慢な男だ。

 カンヌ映画祭でのフランス人記者の松本作品への批評に対する怒りを露にしての自己主張である。幼稚で傲慢な言葉が延々と続いている。映画監督の言葉ではなく、何か言われて抵抗する子供である。芸術作品を云々する立場の人間の発言ではない。幼稚で傲慢な我が儘な子供の発言である。

 そのグチを延々と放送するのもどうかと思う。どういう意味合いの番組かしらないが、吉本興業の提供番組かと思ったりした。最近のお笑い芸人、特の吉本の芸人の中には、松本的芸人が多い。不良的な暴力団ニューアンスを言葉の端々に漂わせての話し方だ。

 確かに松本仁志はお笑いとしては一流だし頭の回転も速い。しかし、映画監督としての松本は幼稚である。

 「フランス人に見せるために映画をつくったのではない」
 「カンヌの映画際には来てくれといわれて行ったのに、あの言いかたは何だ」

 そんな言いかたはいかにも幼稚で、
 哀れな感じさえする。

 これから、どれけの作品をつくるか知らないが、
 また、どんな偉大な作品をつくるか知らないが、
 見たいとは思わない。

 そんな松本仁志監督の映画は「大日本」だ。
 大日本人である。
posted by mayoibsi at 16:34| Comment(0) | TrackBack(2) | M的評論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

松岡農水大臣自殺への鈴木宗男発言

 今日の名言「忠義と恩義の為の自殺」

 「農林水産省のまだ肩書のなかった役人時代からの、35年にわたる付き合いだったが、何ともあっけない永遠の別れだ。
 24日夜、会合で話したのが最後となった。私は松岡大臣に「あす決算行政監視委員会で私が質問するから、国民に心からのおわびをしたらどうか。法律にのっとっている、法律に基づいてきちんとやっていますと説明しても、国民は理解していない。ここは国民に土下座し、説明責任が果たされていませんでしたと率直に謝った方がいい」と進言したら、力なく「ありがたいお話ですが今は黙っていた方がいいと国対からの、上からの指示なのです。それに従うしかないんです」と、弱気な言いぶりだった。
 私はなお、「これからも何かにつけこの話は続くので、早く国民に正直に説明した方が良いと思うよ」と重ねて話すと、「そこまで言ってくれるのは鈴木先生だけです」とほほ笑んでくれた。
 私自身なんとなく松岡さんの胸の内がわかる。私が逮捕されるまで、毎日の様に励ましの電話をくれた松岡さんだった。」 asahi

 鈴木宗雄さんが松岡農水大臣との話をホームページで公表したという。
 それならば宗雄さんのホームページを見ようと思ったが、鈴木宗男オフィシャル・サイトはいっこうに開かない。諦めるしかないようだが、上の記事にも幾つもの重大事項がある。

「明日の決算委員会・・・」
 松岡さんは待てなかった。
 
 鈴木宗雄さんの発言は国会の質疑に問題があるかどうかは知らないが、宗雄さんらしい提案ではあった。

 しかし、松岡さんは了承したわけではなく、黙っているといった。
 しかも、
 「国対からの指示です。従うしかんいんです」と言っている。

 松岡農水大臣は全てをさらけ出して国民に謝罪するつもりだった。
 しかし、自民党の国対はそれを認めなかった。

 「従うしかない」とは意味深々であり、政治の世界のおぞましさも感じるが、一般の人間には理解しがたいことだろう。

 朝のテレビ番組で、毎日新聞の岸井さんは、初めての閣僚入りの時の政治家の恩義と言う事について説明した。一般の人間には分からない初入閣時の総理大臣への忠義とか、忠誠心についての説明であった。その忠誠心や忠義の心が松岡さんを苦しめた。結局は安倍総理大臣への恩義の為に苦しみ自らの命を絶った。

 二人の発言から導き出される結論は自民党へ忠義と総理大臣への恩義が、松岡さんを死に追いやったということのようだ。
 それはまた、多くの国民が理解しえる説明と言うことにもなりそうだ。

 最初の松岡さんの問題は、それ程の重要性は無かった。修正し、納得の行く説明をすれば住むことだった。法律云々など言わないで、謝罪しこれからこのようなことがないように明確にすると表明すれば、一応は、国民世論は納得するものである。

 この問題がどう展開するか想像もできないが、もし何も変わらなければ、松岡さんの自殺は犬死である。
 国会で、鈴木宗男さんの質問がなされることを願う。

 今となれば、犠牲者の感もある松岡さんのご冥福をお祈りします。
posted by mayoibsi at 12:42| Comment(0) | TrackBack(1) | 愉快に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

松岡農水大臣の自殺

 松岡農水大臣が自殺し衝撃が日本中を駆け巡った。
 疑惑の渦中の大臣の自殺を、どう受け止めるべきかは、
 個々人それぞれ違うのは当然でも、
 笑劇場的国会の状況を目の当たりにした国民にとっては、
 早い段階での辞任は当然であり、
 同じ答弁を繰り返す大臣の姿は哀れであった。

 閣僚が自殺した。
 しかも、疑惑のある閣僚であった。
 しかも、新たな疑惑も湧いてきた閣僚の自殺である。

 緑資源機構の捜査をしている東京地検特捜部は、
 渦中の大臣の自殺と捜査との関連性を否定した。
 あえて、捜査は松岡大臣まで至ってないと発表した。
 そして、安倍総理大臣も捜査との関連性を否定した。

 何故捜査当局があえて捜査との関連性を否定するかわからないが、
 松岡農水大臣の自殺は、捜査と関係あるのは間違いない。

 国会での追及を受け続けた結果の自殺である。

 疑惑の閣僚の自殺が、
 何を残し、
 疑惑の閣僚の自殺で、
 何を失ったかは、
 これからの判断になるが、
 松岡農水大臣の自殺は政界を揺るがし、
 政治模様を変える事になるかもしれない。

 疑惑のある閣僚が居座り続けてた内閣は、
 次々と実績を挙げていくかに見えたが、
 国民はそれ程馬鹿でもなく、
 内閣の支持率も急下降した。

 ある自民党の大物政治家は、
 何度も辞めさせてあげるべきだといった。

 それは国会審議が、
 殆ど松岡大臣の問題に費やされている現実に、
 怒りの声を上げた与党の良識でもあった。

 ごね得の内閣が何時まで続くかは、
 何時まで国民を愚弄し続けるかということである。

 喩え、ごね得でもちゃんとした説明の上でのごね得なら、
 政治信念の問題であり国民は納得もする。

 しかし、国会での追及と答弁の状況を見ている国民は、
 無駄な国会、
 空虚な国会を感じ続けた。

 何もしない方がよっぽどましな国会である。

 国会が自分の光熱水費の問題に時間を食われ、
 更に次の疑惑も湧き上がっては、
 松岡農水大臣には耐えられないことだっただろう。

 国会中継のビデオを一人で見ている松岡大臣の姿が浮かぶが、
 大政治家の信念は、
 これ以上の不様な姿を晒す事に耐えられなかったのだ。

 6通の遺書は自殺が突発的なものではないと言っている。
 6通の遺書が短時間に書けるわけでもなく、
 自殺へ向けての行動も今となっては明らかになり、
 その行動は悲壮感さえ感じさせる。

 遺書がある以上、
 何故、自殺したかが明らかになるのは時間の問題であり、
 軽々に自殺の原因云々と言うべきではないと思うが、
 反面、自殺の原因は明らかだと、多くの国民は思っているだろう。

 松岡農水大臣の顔は安らかなものだったと、
 安倍総理大臣は言っていた。

 死んで、やすらかな顔になる哀れさは悲劇である。
 如何に苦痛の日々を送っていたかがわかる。

 ご冥福をお祈りします。
 
posted by mayoibsi at 06:44| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月28日

苦髪楽爪が爆笑問題と出てきた。

 「苦髪楽爪」

 元の言葉は「苦髪楽爪」だった。
 苦労している時は髪がのび、
 楽をしている時は爪が伸びるということらしいが、
 実感のない四字熟語だ。

 地方公務員のAがその言葉をはじめて知ったのは、
 隣町の公民館での美術展だった。
 
 3人展と題する美術展の一人がAの親友だった。
 三人の中の最年長者の作品に、
 浴衣に団扇を持つ初老のご婦人を描いた作品があった。

 何処かで見たような、
 何処にいても可笑しくないような、
 オーソドックスな夏の日本的ご婦人の姿である。

 左手で団扇を持ち、
 右手はほつれ髪に添えられている。
 小さな仕草もオーソドックスなものであり、
 多くの絵描きたちが夏の日に描いた日本的婦人像である。

 この絵の特徴といえば絵がかれているのが、
 滅多に見られない初老の婦人で、
 その髪には白いものが混じっていることであった。

 その絵の題名が「苦髪楽爪」であった。

 Aは感覚的にその題名の意味が分かったような気がした。親友と受付で話す、81歳の老絵描きの無き妻への思慕的な絵だと思った。

 「苦髪楽爪」は婦人の白皙交じりの髪に結びつき、楽爪は団扇を持つ手の微妙な長さが感じられる爪に結びついた。感覚的に理解していると思っているAは題名の意味も確かめはしなかった。

 しかし、Aの妻と中学一年の娘が美術展を見に行った。
 夕食の後で娘はAに「苦髪楽爪」の意味を聞いた。

 「文字から大凡の見当はつくだろう。後は辞典で調べろ」

 うまく説明できないAは、うまく逃げて、
 急いで私のメタポリックな友にメールで問うた。

 メタポリック症候群の友メタ友は、
 「黒髪楽爪の意味を至急教えろ」
 のメールをしてきた。

 「黒髪楽爪」を手元の日本語大辞典で調べるがない。
 故事熟語辞典でもない。
 グーグルで検索してもない。
 同居人の電子辞書にもない。

 「検索で無いのは、馬の角ぐらいのお言葉はどうなったかしら。得意のバラバラ検索でもなさったら」
 
 得意のバラバラ検索とはよく覚えているもので、
 何ヶ月も前の喧嘩時の言葉だった。
 
 此処はとばかりの同居人の皮肉を聞きながら、
 黒髪で検索し、
 続いて楽爪で検索すると、何と何とあった。

 「苦髪楽爪」が楽爪検索でできたのだ。
 しかも爆笑問題も出ているページだった。

 苦髪がメタ友のメールで黒髪に変わったが、
 真実の意味は直ぐに届き、Aの娘に届いた。

 しかし、Aは新たにあの絵と題名について考える結果になった。
posted by mayoibsi at 02:21| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月27日

雨に関する言葉

美しい名言であります。 「虎の雨 遣らずの雨」 
 
 これから梅雨の時期になる。
 四季の変化、気候の変化の鮮やかな国日本では、
 自然と向き合い自然の模様を照射しての、
 心模様を表現する言葉が多い。

 自然と心が一体となって変化する気候を愛でている。

 代表的な言葉が俳句の季語だ。
 そんな自然の状態で心模様を表現する言葉で、
 俳句の季語でもないが美しい言葉がまた多いようだ。

 虎の雨も遣らずの雨もそうだ。

 雨を取り入れる言葉を捜してみた。
 検索してみると、
 あった。

「頑張れ凡人!」
 ちょっと美しい日本語
(ありがとうございます。凡人は頑張るであります)

 幾つかあげると、
 
 雨足 雨だれ 雨模様 
 雨宿り 雨夜の品定め 
 喜雨 狐の嫁入り雨
 霖雨 小糠雨・・・・

 まだ沢山あるが、

 さすがに虎の雨は無かった。
 それは黛まどかさんのインタービュー記事にありました。
 悲しい女の涙雨です。
 虎は女の名前で、愛する男に捨てられた悲しい女です。

 と、記憶を辿るが、
 どうだったか自信はないが、
 悲しい女の涙雨は、間違いない。













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殯(もがり)の森

「こうしゃんなあかんってこと、ないから」



日本の女性監督の作品と聞いただけでもわくわくする。

「殯(もがり)の森」河瀬直美監督だ。

 心を閉ざす男と女の物語
 老いた男は認知症で死んだ妻との思い出の中に生きている。
 若い女は子供をなくし、夫ともわかれ罪の中で生きている。
 心を閉ざした男と、
 罪にもがく女は、互いに見ぬふりをして生きている。

 ある日、男の妻の思い出の詰まったリュックを女は何気なく手に取った。怒りの男は女を突き飛ばす。看護する女を認知症で看護される老いた男が突き飛ばす。

 患者に突き飛ばされる女は何もかも自信を失う。そんな若い女を主任はやさしく見守り「こうしゃんなあかんってこと、ないから」
と励ます。

老いた男と若い女は、それぞれ不器用に必死に心を開こうとする。

日本の原郷、奈良県の東部の山の中、
葬式の行列が静かに進む。

全てが始まり全てが終わる。

老いた男がいい、若い女がいい。
子供のように茶畑での隠れんぼ、、、。
老いた男を助ける為に、若い女は服を脱ぎ、
美しい体で醜い老いを暖める。

全ての境界が消え、
全ては大きな命の中へ引き込まれる。
殯(もがり)の森は全てを抱き、全てを育み、全てを飲みこむ。
posted by mayoibsi at 07:48| Comment(0) | TrackBack(2) | 愉快に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

再犯率

今日の迷言 「懲役太郎」「ショーベン刑」

 「刑務所からの満期釈放者のうち、30年前には9%だった「帰る場所がない」人が、05年には4割を超えたことが、龍谷大学矯正・保護研究センターの浜井浩一教授の分析でわかった。厚生労働省研究班調査で25日、知的障害がある受刑者の約半数に引受人がなく、生活苦が再犯につながっていると明らかになったばかり。浜井教授は「社会に居場所がないと、刑務所に戻るために微罪を重ねる累犯につながりやすい。新たな受け皿を」と話している。」asahi

 罪を犯せば社会的な制裁は当然で、身内は兎も角、親族や関係者との社系的断絶は罪を犯した者の最初の受ける制裁である。

 かなり前の事だが、
 罪を犯した人達と接する機会が多かった。
 その人達と話をしたり、
 色々と相談に乗ったりした事があった。

 罪を犯した者が身内や関係者などの冷たさを感じるのは当然でも、更生後の関わりまで断ち切られるのは、いかにも寂しい気もした。

 勿論、身内も関係者も犯罪者同様に社会的制裁を受けるわけであるから、怒りが湧くのは当然であるが、更生後の関わりまで断ち切られては、刑務者を出た後の行き場がないのは当然だ。関わりを持ちたくない身内や関係者の気持ちは理解できるが、更生後の復活のチャンスは与えて欲しいと思う。

 しかし、それも甘えの一つであり、
 本人が罪の意識を捨てる事無く、
 新たな気持ちで社会生活を始めるなら、
 道は開けるだろう。
 再犯は結局安易なご都合主義の甘えから起きる。

 幾つも聞いた話で面白いと思ったのは、

 罪を犯し裁判が行われ刑が確定して服役と進むにつれ、自分の罪の償いが、身内や関係者から認められ、出所を皆が待っているような錯覚に陥るという。

 罪の償いが認められる錯覚である。

 出所が迫り身元引受人もいない現実を知るまでは、その錯覚が支えであり、錯覚を確かめるように何度も手紙も書くが、返事がなくても錯覚は消えないという。

 勿論、全ての人に当てはまる事はないと思うが、錯覚が受刑者の精神的支柱になっているのは事実と思った。

 一度罪をおかしな人間に対して社会は寛容なはない。
 身内も関係者もある程度は罪を犯したものと同様に制裁を受ける。
 彼らの怒りは当然で、関わりたくないのが人情だ。

 再犯率は高くなり、
 刑務所が最も安定した生活の場であるかのようになる。

 「懲役太郎」と呼ばれる人達が何人もいるらしい。

 安全な生活を求めて、
 隠語で、「ショーベン刑」と言う、
 食い逃げなど軽犯罪で刑務所に向かう人のことらしい。
 
 刑務所に出たり入ったりを繰り返すから、
 前科は重なっていく。
 前科十犯の仰々しい経歴の人もいるらしい。

 健常者の再犯率は本人の責任だが、
 障害者となると、
 必ずしも本人の責任ではなく社会の責任だろう。








posted by mayoibsi at 06:38| Comment(0) | TrackBack(1) | M的評論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ポール・ニューマン引退宣言

ポールニューマン「記憶力も自信も創造力も失い始めた」

 ポール・ニューマン引退の記事は信じられないような時間的空白を感じさせた。
 ポール・ニューマンはとっくに引退していたと思った。
 ポール・ニューマンの代表作は「ハスラー」だと個人的には思っている。

 「タワーリング・インフェルノ」を上げる人も多いかと思うが、ステイーブ・マックインとの競演が話題になった映画だった。

 今にして思えば、9.11ニューヨーク同時多発テロも、イメージさせる映画だったような気もする。

 ライバル、ステイーブ・マックインと、
 名前が先か後か、また上か下かでもめた。
 
 大スターの競演だと、
 当然といえば当然だが、
 互いに譲らずらなかった。

 結局、宣伝用看板なども、
 交互にすると言うことで決着したという、
 エピソードなどもあった。

 「ハスラー2」の老いたハスラーを演じた時、
 ポール・ニューマンの引退を予感したし、
 その後の映画での活躍はないだろうと思っていた。

 しかし、その後も確かな活躍を続け、
 また、ボランテイア活動にも取り組んでいた。

 最近は殆どニュースも聞かなかったので、
 歳には勝てないと思っていた。

 ポール・ニューマンは現在82歳であり、引退宣言など必要ないと思うが、一応けじめをつけたいのだろうか。

 第二のマーロン・ブランドと呼ばれるのがいやで、
 映画から遠ざかっていたとか、
 映画界から離れたとか、
 また、必死に抵抗したとか、
 色々謂われるが、
 何故、第二のマーロン・ブランドと呼ばれるのが、
 いやだったかは分からない。

 マーロン・ブランドが嫌いだったのか、
 マーロン・ブランドを超えたかったのか、
 マーロン・ブランドの上だと思っていたのか、

 考えるが分からない。
 ようするに、
 マーロン・ブランドの偉大さが際立つ、
 当事の映画界、演劇界だと勝手に推測する。

 好きな作品を上げてみた。

 「銀の盃」でデビュー
 「傷だらけの栄光」でスターに 
 「明日に向かって撃て」
 「ハスラー」
 「動く標的」
 「脱走大作戦」
 「レーサー」
 「タワーリング・インフェルノ」
 「トワイライト」
 
 やっぱりポール・ニューマンは「ハスラー」だと思う。
 
 反核等の平和運動から、
 息子の麻薬中毒による死がきっかけであった麻薬撲滅運動。
 そして、全利益をボランテイア活動に寄付するニューマンズ、ブランドは、多くの商品が販売されているらしい。

 日本でも当然購入可能だ。

 活動も多義にわたるが、
 才能も多彩で、レーサーとしても一流であった。
 ル・マンでの活躍は良く知られるところだし、
 日本ではスカイラインのCM でもお馴染みであった。

 「記憶力も自信も創造力も失い始めた」
 引退の理由であるが凄い言葉だ。

 82歳の老人の言葉である。
 「記憶力も自信も創造力も失い始めた」
posted by mayoibsi at 02:03| Comment(0) | TrackBack(1) | 愉快に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月26日

大田総理・・秘書田中

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初心者だけど、ノートがイイ!
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今日の迷言 「団塊の世代は何もしなかったくせに」

 「大田総理」そんな番組を見た。
 マニフェストは「国会議員に65歳定年制を」だった。
 
 そんな議論は今に始まったことではないが、
 国会議員の65歳定年はある意味では活気てである。
 半分の議員が辞めるべきか、
 三分の二ぐらいの議員が辞めるべきか、
 そんな数字になるような気がする。
 65歳以上の先生方が多いということである。

 大田光の真実の声は、団塊の世代以上の世代排除と言うことらしい。
 
「団塊の世代は何もしてこなかったくせに」は、

 いささか言い過ぎだが、
 バラエテー番組だから
 何ともいえる訳である。
 
 それはそれで満更突拍子もない発言ではなく、
 或いは、騒がれすぎる段階の世代の定年退職問題への皮肉だろう。
 
 その団塊の世代の代表者として、
 先の東京都知事選挙で敗北した、
 元宮城県知事浅野史郎さんが途中から出演した。

 確かに、国会議員の老齢化は今まで以上に進行したような気もする。
 安倍総理が一番若そうな内閣である。
 女性閣僚以外では安倍総理が一番若いだろう。

 そんな内閣で、
 老人といえる国会議員への疑問は、
 多くの国民が持っているわけである。

 定年論議にしても何歳で線引きするかは難しいところで、
 小泉元総理は自民党の公認を取り消し、
 中曽根さんに政治テロだと言わしめた。

 中曽根さんのような矍鑠としている人は兎も角、
 もう引退してはと思う先生方は結構いるだろう。

 浅野さんは政治家の定年制には反対だが、
 政党の定年制には賛成らしい。
 やれると思う人は無所属で立候補するべきの考えだ。

 大田の「団塊の世代排除論」に対して、浅野さんは、団塊の世代を地方議員へ送り込むことを考え、その方向に行動しているような発言をした。定年退職する団塊の世代の持つ様々なノウハウを地方議会へ注ぎ込むと、地方議会も活発になり地方から新しい産業なども起きるだろうとの狙いのようだ。団塊の世代も色々いるわけで、様々なニースに答えることが出来る。

 なるほどと思う考えである。
 地方の議会に定年はない。

 出演の国会議員はお馴染みテレビの政治的番組の常連民主党の原口一博議員、自民党の平沢勝栄議員と他にも多くの先生方が出演していた。

 変わったところで、
 もと文部大臣の島村宣伸さんや橋幸夫さんがいた。

 若手議員先生たちは勿論大田派で、老政治家の弊害を言っていたが、

 「私レベルの人10人と、君たち10人で」
 勝負する自信はあるかと若手問い質す73歳の島村さんの、
 自信に満ちた最高の発言だった。

 国会議員定年説は何の変哲もないありふれた不満であるが、そんな中でも発言の中でとんでもないものがあったりするわけで、社会の多様性を感じるが、番組出演の議員先生方の、国会活動が気になるところだ。

 番組では「国会議員65才定年」は12対9で否決されたが、
 番組のホームページの一般視聴者投票は賛成87%である。当然反対派13%だが、個人的には、国会議員は何歳でもいいと思う。

 ただし閣僚は別で、
 順送りのような派閥型に戻っている現在、
 何かの審査的なものがあってもいいような気がする。

 「団塊の世代は何もしなかったくせに」は、

 呆れたというか、
 言いたい放題というか、
 まあ、大田だからいいか。

 と思う人が多いだろう。 








 
posted by mayoibsi at 04:35| Comment(0) | TrackBack(2) | M的評論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月25日

強い魁皇

 名言は「魁皇の右」


 決め手のある力士は魅力的だ。
 つぼにはまれば絶対勝つ、それは大相撲の魅力だ。

 魁皇の右、アナウンサーが何度も叫んだ。
 魁皇は上手をとりに行く。
 いったん取った右上手は横綱の抵抗で切られた。
 その瞬間両力士の動きはとまった。
 息詰まるような時間が流れ、
 土俵上は紙相撲のように動かない。

 動かない状態でも魁皇は何度も上手を求め腕を動かす。
 そのたびにアナウンサーは、
 魁皇右上手を取れないと連呼し、
 場内が微かにざわめく。

 右上手を取れば魁皇の勝ち。
 場内はそう信じているようであった。

 いつもの場所なら上手を切られた瞬間に勝負は決まっていた。
 しかし、今場所の魁皇は違う。

 動き出したのは横綱であった。
 次の瞬間魁皇の右手が横綱のまわしにかかった。
 魁皇の右上手だ。
 「魁皇右上手を取りました」
 アナウンサーは言い場内はどよめいた。
 満を持して魁皇が攻撃に出る。
 次の瞬間横綱が土俵中央で一回転した。

 大関魁皇の「上手出し投げ」が決まった。
 あっけに取られた横綱の顔が画面一杯に広がる。
 唇を丸めて大きく息を吐き出し、
 我に返ったように微かな笑みを浮かべ出て立ち上がる。

 横綱朝青龍の微かな笑みは、
 魁皇の底力に対する賞賛の言葉とも思えた。

 三敗の横綱、二場所続けて優勝できない横綱は、敗北の味を噛み締めているかもしれない。横綱の不敗神話は崩れつつあるが、それが本来の大相撲だと思う。

 一人勝ちしていた大相撲は異状とも思えた。
 何度も座布団が舞う土俵が続くと大相撲は面白くなる。

 それにしても白鳳は横綱相撲だ。
 白鳳の横綱昇進を阻害していたのも、
 締まりの無かった大関陣の不甲斐無さであったかもしれない。

 白鳳の横綱昇進は決まった。
 東西の両横綱がいてこそ、
 大相撲の魅力も増す。

 そして魁皇だ。

 魁皇の右を見た今日は相撲記念日だ。
 
posted by mayoibsi at 19:47| Comment(0) | TrackBack(2) | 愉快に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

DVDをジャパネット・タカダで売る。

 「DVDをジャパネット・タカダで売る」

 北野監督の最新作は「監督・ばんざい!」だ。
 その題名から奇想天外な感じが漂うが、
 紹介記事や、オフィシャルサイトで見る限り、
 興味が湧く作品のようだ。

 カンヌ映画祭からの凱旋帰国の記事からも、
 世界的な評価も分かる。
 世界の北野の面目躍如の感じだ。北野作品は安定した評価が映画市場の常識とまでなった感じだ。

 北野作品の特徴の一つが、常連の出演者だ。
 出演者を見ただけでもその作品の面白さがわかるよう感じだ。

 常連の出演者は、
 俳優として女優として申し分のないメンバーである。

 監督の仕事は、
 或いは彼らの演技を制御することかもしれないし、
 話し相手になることかもしれない。

 ビートたけしに続けとばかりにお笑い芸人達の本やら映画やらがあるが、いいのか悪いのかの判断は、読んでもないし見てもないから何とも言えないが、挑戦すること自体にも意味があるだろう。
 
 映画がヒットすれば、正に監督・ばんざい!である。
 何はともあれ、早く映画を観てみたいものだ。

 北野作品の新作が完成するたびに、
 「戦場のメリークリスマス」を思い出す。

 役者としてのビートたけしの原点だろう。
 名監督大島渚の目を見張らせたという、
 ビートたけしのスタートラインである。

 その作品で感じたのや、
 役者としてのビートたけしであるが、
 監督になるとは思わなかった。

 辛らつな言葉の健在なうちは、
 ビートたけしは健在と言うことだろう。

 DVDをジャパネット・タカダ高田で売る。
 なるほど名案である。  
posted by mayoibsi at 10:54| Comment(0) | TrackBack(1) | 愉快に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする